会話成立

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退所してちょうど1週間が過ぎた。
昨日、帰宅してすぐに寝室に入ると、私の顔を目でおっているし、顔も左右に動かして「・・・・・」と何かを言っているではないか。
手を握って、簡単なやりとりをしてみると、その都度、何かを語ってくる。とても小さな声で活舌も悪いが、コンタクトできたのは間違いない。
今日は訪問入浴の実調があり、明日には入浴もできるようになるだろう。
どんどん回復していく母。そして、愛しくなってくる。
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テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体

母、特養退所の準備

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3.11震災直後に父が亡くなり、四十九日が過ぎると、母の様子に変化が始まった。
あの時から5年半が過ぎた。レビー小体型認知症の特徴と言われる幻聴や幻覚そして徘徊に振り回され介護申請。
深夜に家を抜け出してしまう事がないように家中の出入り口に細工をしたり・・・
投薬が合わない度に体調や表情もどんどん変化し、母ではなくなっていった。
母も変わったが、自分自身も怒りっぽくなり大声まではりあげてしまう程変わってしまった。
職場はありがたかった。一時でも解放され普段通りの自分に戻れていたが、帰宅する頃には憂鬱になる。排尿や排便の失敗も始まって、休日は見守りを細君に押しつけて、自分だけ登山にでて気晴らし三昧。
デイサービスやショートステイを限度額ギリギリまで計画していただき、細君の負担も和らげることができた。

介護職に身をおいていた自分であったが、母にはどうしても優しくできず、顔を見る事もイヤになっていた。
心の中では死ぬまで在宅介護をと思っていたのだったが、ショートステイの年間利用日数限度の180日間の枠がいっぱいになってしまった時、要介護3以上だと特養の入所申し込みが可能なので、町内にある3施設全部の特養に入所申し込みをした。と、言うか・・・、せざるを得ない心境だった。
CMから区分変更のアドバイスがあり、要介護3から要介護4に改められた。認知症の進行が認められたのだった。
それでも入所待ちは250人を超えていたので、いつ入所が決まるかは亡くなる方を待つだけで、全く先が見えないし途方に暮れた。
老健に申し込んでも施設が少なく、それも順番待ちの状況で、我慢が強いられる日が続いていたが、新しくできた老健で空きがでて3ケ月間だけの入所がきまり、デイサービスから帰宅せずに直行で入所。3ケ月間は「自由」になれると安堵した。
それから先のことなど考えてもしょうがない。退所が迫った時まで考えないように蓋をした。
週1回程度着替えや洗濯物の届けを細君にお願いし、細君に様子を聞く日が続く。
その施設も、普段の仕事で頻繁に出入りさせていただき職員さんとも顔なじみではあったが、母にはいつも会わずに職員さんに「よろしくお願いします」と告げて出てきていた。

(・・・親不孝な息子さんだよね?)って言われていたに違いない。

仕事では同じような方々に優しく接することができ、自己採点でもAランクだろうと自負さえしていたが、母にだけは、ずうっと冷酷な自分だったと思っている。

在宅介護の福祉用具専門相談員という立場で介護現場に訪問する毎日で、親の食事やオムツ交換を献身的にやられている家族も多い。私と同じくらいの息子さんもお母さんのオムツ交換も笑いながらやられているもを見ると愕然となった。
その度に、自分は専門家でありながらそれができない。とても情けなく感じてしまうのだった。

老健に入所して約1ケ月半が過ぎた時、入所申し込みをしていた特養から突然電話が入った。
要介護3から要介護4になったので、どんどん上に繰り上げられて入所できるという事が真相だったのだ。

もう少し在宅介護もできるかもしれないと細君も言ってくれたが、断ると、いつまたお声がかかるか不明である。
母の希望など聞けば「住み慣れた家で過ごしたい」と言うに決まっている。心を鬼にして入所の返事をしたのだった。

入所契約で施設に訪問。膨大な書類の説明を受けたが、署名押印をどんどん進めた。すると、終末期の対応をどうするかという「誓約書」だったかと思うが1枚の書類の説明でストップする。
死ぬまで施設にお願いするか、終末期は在宅で看取るかというもので、またそこで悩む。
その書類が無いと契約が成立しないのだ。

終末期の状態って?
仕事で接する方々の顔がうかんだ。

あのように寝たきりになれば徘徊の心配もないだろうから、ヘルパーさんの力を借りれば在宅での看取りも可能かもしれないと思って、それにチェックを記して渡した。

それから1年半が過ぎた。

突然、施設から携帯に電話が入ったので、何か大問題が発生したと直感。
それは予想を超えていた。
「食事が摂れなくなり、口径摂取が困難で点滴治療をしています。現在の体重は29kgで、終末期と判断しています」
との連絡だった。

施設に電話をかけなおし担当CMと翌日10:00のアポイントをとる。
相談室に通されると、次々に職員さんが入室されてきてた。CM・相談員・看護師・担当介護士・栄養士の方々で、状況説明を聞く。
そして、終末期を迎えているとの事で、入所時の在宅での看取りの意志確認がなされた。
この特養では、最後まで施設にお世話になりたいという方がほとんどであり、在宅で看取りを希望する方は稀であり、家族の気持ちが変わったとしても今からでもOKですよと言われた。
でも、気持ちは固まっていた。「在宅での看取りをしたい。2月10日が87歳の誕生日なので、その日は自宅で祝いたい」と告げる。
職員さんが心配されていたもう一つの事は主たる介護者となる細君のことだった。
一晩負担がかかるので、「奥さんともしっかり話し合いされて、今後をどうするかのご返事をください」と言われた。
約1時間の打ち合わせが済むと、母の部屋に連れていっていただいた。
私は息子でありながら細君任せで、恥ずかしい限りであるが、入所後1年半、一度も母の部屋を訪ねた事がなかったのだ。
デイサービスやデイケアが併設されている施設で、仕事では毎日くらい仕事で訪問する施設だったが、母には会わずにいたのだった。
部屋は個室になっていた。小さい!もとより小柄だったが、あまりにも変わってしまった母の顔を見て愕然とする。声掛けしても反応すらない。口元に耳を寄せてやっと聞こえる吐息。
できるのなら、このまま連れて帰宅したいくらいのショックを受けた。
介護職員と施設看護師の方から更に詳しく経過を教えていただく。
2ケ月前からきざみ食に変わりなんとか食べる事ができていたけど、口に入れても飲み込まないで口の中に残ったままで、目を閉じてしまう。食事介助に約1時間かかっても2割程度の量。
水分もトロミをつけて吸い飲みで少し摂取できる程度で脱水症ぎみ。
点滴を繰り返すようになったという。
手引きでトイレまで歩けて、一部介助で済んでいたけど、水分も足らないので少量の排尿。
2-3日前からは寝たきりとなり寝返りもできないので、2時間おきにに体位変換していた。
いつ床ずれが発生してもおかしくないという。
きざみ食も危険なので、エンシュアリキッドにトロミをつけて、なんとか1日3缶程度は摂取できている。
冷たいポカリスエットやヤクルトなら少し飲めるとの事。
オムツは1日4回の交換。
入浴は体重が軽すぎて浮いてしまうから機械浴で介助も必要。
ヘルパーさんの入浴介助ができれば自宅での入浴もできるかもしれないとも言われる。
大急ぎ事業所に戻り、以前お世話になっていたCMさんに相談し、在宅に向けた準備を依頼。
その夜、細君との話す。「悔いが残らないようにして」と短い返事をもらったのだった。
翌日、その結論を施設CMに連絡し、退所前カンファレンスの日時を決めていただいた。
1週間が過ぎて、施設関係者と在宅介護に必要な訪問介護・訪問看護・福祉用具と家族(私と主たる介護者となる細君)が集まり1回目のカンファレンスがあった。
会議終了後に母の部屋にみんなで行き会っていただく。
2日前と同じように口を開けたまま眠っている。でもマットレスはエアマットに変更されてた。
大きな声で施設看護師が声掛けすると、少し反応があった。
難聴でほとんど聞こえない様子だが、左耳ならば大きな声は聞こえるらしい。
関係者が大勢ベッドを囲んでいたので少し照れくさく思ったが、自分でも声をかけてみたら、確かに少し反応があった。
「息子の声はわかるんだよ!」と訪問看護師のUさん(顔なじみ)が笑顔で教えてくれた。

翌日、往診に来た先生からもお話しがあると聞き伺うと相談室に通された。前回と同じ顔ぶれの職員さんが集まられていた。
在宅支援のCMさんにも同席していただき、少し待つと病院の医師と看護師が入室。

主治医からは現在の病状説明が詳しくあり、在宅での看取りを希望する私に対し、「大変だと思いますが、終末期を住み慣れた自宅で過ごす事は本人にとっても幸せだと思います。在宅では家族といっしょに良い時間をお過ごしください。在宅では山口鶴子医師が伺がうんですよね?」と言うだけだった。遺漏や経管栄養などの延命治療の話があるのだと思っていたので拍子抜けしてしまい、私から主治医に聞いてみた。
「経管栄養も考えましたが、必ず看取りの時がくるし、本人が苦しむだけだと思うので、このまま看取りをしようと決めました。」
主治医からは何も返事がなく、「それ以外に何かありますか?」
「投薬に関して、便秘薬と胃腸薬とアリセプトの3種処方されているのですが、在宅ではアリセプトを止めたいと思っています。入所前にもアリセプトを処方され飲んでいたのですが、よだれが出て食欲も落ち、表情もなくなり、M病院の医師にアリセプトを止めて良いかと確認して止めた経緯があります。そうすると、それらの副作用がなくなり、表情も戻りました。今は、食欲を取り戻す策が大事だと思うので、そうしたいのですが、ダメですか?」
すると、主治医は「そうした過去の経緯や記録がなくてわかりませんでしたので、アリセプトは止めても良いです。」
(・・・何の為に処方をいつから再開していたんだよ!)と内心は不信に思ってしまったが、時間は巻き戻しできないから不問とした。
山口鶴子医師は高齢者終末期医療の第一人者として知られた大先生でした。
順天堂大学におられたが、震災後に故郷の町内に診療所を開設され、終末期ケアに親身に取り組みされている医師で、利用者さん宅で何度かお会いさせていただいていた。

その山口先生のお力も得られる環境となり、心強く思っている。
高齢者終末期に関わる質の社会医学的研究

主治医との在宅での看取りの確認が為され、施設職員との具体的な退所日を決めることになった。
緊急電話が入った時からちょうど10日間。
物的人的な準備もほぼ整い、明後日施設の在宅介護の設備や環境面の実調が予定され、問題がなければ2月1日には退所できる。

主治医と会うまでの間、経管栄養で元気になり、食欲も出て改善できた方にも何度も会う機会があったので、母ももしかしたら回復できるのではないか?せめて春まで、せめて90歳まで・・・ 自然な看取りをすると決めても、一方では延命策も考え始めていたのも事実だった。

いざ、せまりつつある母の死を受け入れることができないでいる自分。・・・弱い!
ふと、ブログを見つけた。「人生いろいろ介護」

自宅で死ぬということ
・・・自宅には過去とのつながりや自分の存在を確認できる空間と時間があります。
何者にも邪魔されない自分だけの世界で人生を振り返ることが出来、納得出来た時に、自分を許し他人を許す事が出来るはずです。

この世で大切な人に出会えたこと、さまざまな経験、人生における苦しみや悲しみさえ、旅立つ時には全てが感謝になり、心から「ありがとう」と言えると思うのです。


死はゴールでなく、命のバトンタッチです、命が自分だけのものでないという気づきが、心豊かに生き抜き、愛とエネルギーを次の命に注ぎ込む事を可能にする事が出来るのではないのでしょうか。
自宅で死ぬ事の真の意味はそこにあるのではないのでしょうか。


筆者の方と何度かコメントをやりとりする。励ましもいただき、私自身の心も整理できた。
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施設のエレベーターの中で相談員の方に「・・・お母さんは、踊りの先生もしていたんですよね?」と聞かれた。
母がしゃべっていたのだろうか?
花の手入れや畑作業、そして踊りの指導など、毎日忙しく活動していた時を想い出す。

テーマ : 幸せに生きる
ジャンル : 心と身体

母 特養入所の日

突然電話が入る。前々から聞いてはいたが、その通りだった。
昨年、入所申し込みをした時には240人待ちという状況で、2~3年後になるのかなと思っていた。
それまでの間はディサービスとショートスティのサービスを組み合わせて1週間に内3日間程度は自宅で過ごす計画でいたが、予想と違いその日は突然とやってきた。
ジャンプすることもできるのだったが、次のお誘いがいつになるかは全く解らない。
悩む事10分。入所を依頼。
レビー小体型認知症特有の幻覚幻聴幻視により、現実か空想の世界化の区別が分からなくなり、ほぼ90%は夢の中。
会話も成立しない。
自宅では食事が終わると直ぐにベッドで寝てしまうから夜なのか昼なのかもわからなくなり、深夜行動。
家から飛び出てしまってはどこに行くかわからない。
自分達も不便だけど、簡単には開けられないに窓や出入りできる開口部を細工した。

徘徊以外は動かないので腹も減らないから食べなくなる。そして痩せてゆく・・・

認知症という病気を理解していても、目の前で教本通りの狂った言動や行動を見ていると耐えられないなり、ついつい大声を発してしまっていた。
ワンコ達はカミナリでも堕ちたかのようにシッポを下げて一斉に逃げ出してしまう。

見るからダメなんだよ!と細君にたしなめられるが、いつも見続けてしまう・・・
見ていなくてもオムツの臭いは直ぐにわかる。

細君に頼んで確認。(+o+)・・・

情けなく悲しくてやり場が見つからなくなり、庭に飛び出てアレコレと自問自答の日が続いていた。

入所する事で、そうした日々はなくなるだろう。でも、正直には、追い出してしまったという罪悪感も感ずる。

この日まで、認める事ができなく優しくなれなかった自分。
でも、そうさせて下さい。気持ちが変わったら在宅生活を考えよう・・・





テーマ : 親の老後と介護
ジャンル : 結婚・家庭生活

要介護3になって半年経過 ショートスティに感謝

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母の来月(12月)の介護サービス計画書の下案が届く。
ショートステイが20日間、ディサービスが2日間。31日のうちに在宅は9日間の計画。
現行の介護保険制度で定められている限度基準額ギリギリの計画となった。
このパターンで9月から様子をみているが、大きな変化があった。
先ずは、よく食べるようになり、体重も少し増えた。不安定だった歩行もしっかりしてきたと思う。
本人は「もう杖はいらない」とも言っているが、認知症なので話は半分に聞いている。
施設サービスの朝、昼、夜のしっかりした食事介助を受けることで改善された大きなポイントだった。
記録をみると、全て完食だという(驚)
家では、食べる以外はベッドで寝ているだけの生活だったから、食欲もなかった。だからあまり食べない。食べないから体力も低下していっていた。
施設でも横になっている時間は多いそうだが、お絵かきしたり、声かけしてもらったり、起きて活動する時間があるし、一人ではなく他の利用者とのコミュニケーションもあり、総じて活動的な生活が送れている様子。
補聴器を使わないとほとんど聞こえないので持たせていても、本人は管理ができない。施設職員さんが対応してくれているが、「以前のようには、あまりお話をされなくなりました」との報告。発声もモゴモゴともたつく低い声量で、聞き取れなくなってきている。帰宅願望の不穏があり、職員さんになだめていただいているのも事実。
ショートステイは年間利用日数の限度が180日までとされている。
ギリギリになりそうだが、様子を観察しながら、このままのパターンでお願いしようと思う。

それから、認知症進行を遅らせる投薬でアリセプトも飲んでいたのでったが、アリセプトの副作用なのだろうが、無意識によだれが出っ放し状態で、本人もしきりにティッシュやハンカチで口を拭いていた。ティッシュもハンカチも区別がわからないようになり、ゴミ箱にもハンカチ。歩いていても、畳によだれが落ちる光景は見るに忍びなかった。医師に相談しアリセプトを飲むのをやめたら、よだれが止まった。一方、認知症の進行の違いはまだよくわからない。




テーマ : 認知症を介護する家族の悩み
ジャンル : 福祉・ボランティア

「予防」の価値を理解されなかった・・・悔しいなぁ

昨日、「熱中症」で意識朦朧に陥った方がいた。
90歳を越えるご夫婦で、平日は老々介護状態。ご主人の異常な様子に気が付いた奥さんが外でオロオロしているところに犬の散歩をしていた家内が遭遇。
ちょうど、自分が自宅に戻り昼食していた。直ぐに行ってみた。
顔に触れて声賭けすると反応がありホッとした。
会話もでき、聞くと寒いという。体温計が見つからないので、家内に自宅に取りに行ってもらったが、その間に、もしやと思い電話して母の栄養補助ドリンク(メイバランス)も持ってくるように伝えた。
体温は38.2度、寒いという訴えで足には湯タンポがあり、暖められていた。
奥さんに聞くと、朝から調子が悪くて食べていなかった上に水分もほとんど摂っていなかったことを知り、「熱中症」と察した。(前月の定例会で勉強したばかり・・・)
メイバランスをすすめたら30cc程度しか飲めない。
家族には看護士の娘や孫がいるのを知っていたので、連絡して孫に帰宅してもらい病院に連れて行ってもらった。
やはり「熱中症」だった。


共に支えあいながら生きてこられたが、ご主人は冬に脚立から転落して肋骨を折る大怪我。
除染後の砂利につま突いて、顔面強打して1ケ月間寝込んだ奥さん。
客観的に見て、歩行困難なレベルで「要支援1~2レベル」状態。
家を守るお嫁さんが朝来てくれて、今後の不安を語ってくれたので介護申請を薦めたのだったが、娘が看護士なので、気兼ねをしていた。
でも、主たる介護者になるお嫁さんの負担を察すると、介護認定を受けて住宅改修等の転ばないようにする為の環境整備が必要だと思い、娘さんに相談する「話し方」までアドバイスした。


今晩、その娘さんから電話がくる。(来たぁ~!)
緊急時の対応に対する御礼から始まったが、そして直ぐに介護申請の拒絶を告げられた。
「頑固な親だから、介護認定を受けても拒否するに決まっているから、好きなようにさせてあげたい。寝たきりになったら、私も介護できるし孫のMも看護士だから身内でできるから、そう家族で決めました。私の娘も、今は介護関係のトップをやっているから対応できるので・・・」
(・・・やっぱり、そうなったてしまったかぁ・・・)


常々この仕事をしていて感じていた事だったが、それは、医療系の職に就いていた方の感覚は自分達の感覚と違っていることだ。
解りやすく交通事故に例えて言えば、自分達は「交通事故が起らないようにする」ことを考える。
しかし、医療系の方は「交通事故にあい、どこをどのように怪我し、どう治療しよう」と考える。
医療施設内での対応が、そのまま在宅でも介護イメージに展開してゆくのを見てきた。

転んでしまってから、何処が骨折したのか?手術か可能か?結果、寝たきりになれば、どうするか?
それって、前時代的感覚だろうと思うのである。

CM(ケアマネージャー)の介護マネイジメントに至っても、ヘルパーあがりのCMと看護士あがりのCMの意識には大きな違いを感じていた。
例えば、「床ずれ」の問題が、そうなのだ。
ペルパー経験者のCMは、「私の担当する利用者には、絶対「床ずれ」は起こさせない」という信念を感じるが、看護士経験者のCMは「床ずれ」に対し鈍感な様子で、「床ずれは必ず発生する。そうなったら処置すれば良いし、栄養が摂れなくなり悪化すれば寿命にすぎない」とドライな感覚である。

転倒して大怪我して、突然と寝たきりになりオムツ生活が強いられて廃人化されていく人生と、自然な老いによって徐々に朽ちてゆく人生。どちらしかない選択が老後であると思えば、どんな人でも後者を望むと思うのだ。

えてして身内に看護士がいる家庭では、前者のケースが多いと思っている。
訪問看護という在宅サービスの多くは、寝たきり状態となってしまった方の介護の中で、ヘルパーが禁止されている医療行為を在宅で処置してくれる重要なサービスでありその価値は大きいと評価しているが、その貴重な豊かな経験と知識が「予防」レベルで活かされていない。

昨今、「医療と介護の連携」という言葉が多く聞かれるようになってきたが、そもそも、金のかかる医療を未然に防ぐためには、事が起らないように介護を「予防」してゆく感覚を医療系の方の認識を持つことが絶対的に欠如していると感じる。

子供が刃物の使い方を知らなくて怪我してからでは手遅れになるから、親は刃物の使い方を教えてあげる。
それが「予防」である。

怪我をしなければ「医療行為」のお世話にはならなくて済むのだ。

「認知症」も予防可能な病気ならば、絶対にそうならないように「予防」したいのだが、それが解らなかいままだ。

結局のところ、それ以上の深入りはできなくて、介護申請は却下されてしまった。
でも、主たる介護者候補はお嫁さんであり、家にいない身内(現場を知らない看護士の嫁いだ娘さんは遠くにいる)に気兼ねしながら、そもそも他人である老夫婦の介護を強いられる日が続いてゆく。

介護とは、本人と介護者の両輪の関係であり、特に介護者の負担軽減が「介護」の世界の中枢であると自分は理解している。
「転ばぬ先の杖=予防」が介護のスタートである事を看護士の娘さんは理解してくれなかった。



テーマ : 福祉のお仕事
ジャンル : 福祉・ボランティア

レビー小体型認知症(DLB)と聞かされて・・・

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ひ孫のアーちゃんと会う時にだけ無表情から笑顔に変わり、ホッとする。


もしや「レビー小体型認知症」ではないかと疑い、専門医に相談して1年5ケ月が経過。
名の知れた評判の良い専門医だったが、「総合失調症」と診断され、精密診断を勧められたが、絶対に誤診だと思い病院を変えた。
次の精神科の病院では「加齢による認知症の初期症状であり、レビー小体型認知症の疑いは否定できない」との診断だった。パーキンソン病をあわせ持つ認知症である。

幻覚や幻聴による異常行動は昼夜関係無しに発生し、目が離せなくなり振り回された。
漢方の「抑肝散(ヨクカンサン)」を処方され、少し落ち着きを取り戻していたが、介護申請を4月に行い要介護1の判定。
社交的な性格だったので、デイサービスを週の半分利用し、約1年が経過した。
介護保険の認定更新があり7月から「要介護3」となった。
気が付けば、笑みが全く消えてしまい無表情で、歩行もロボットのような歩行。小股で手にも震えが出て来た。
幻覚はウルトラ級とでも言うのか、現実と夢の世界の境界が全く無い。
リアリティな話をデイサービスでも頻繁にする様子で職員さんも戸惑ってしまい、確認の電話が自宅にも入るようになった。


そんな母を、優しく包み込むような優しい息子でいたいのだが、今では一緒に食事もしなくなっている。
解読不能な言動と、異常行動を目の当たりにすると、「何やってんだ!」とついつい大声を出してしまい、家内は、「怒らないで!」と止められ、気まずい空気に包まれる。
怒ることは逆効果とは知り尽くしているのだが、、、・・・怒ってしまう自分。
この一年で、短気で怒りっぽくなった自分に嫌気がさしてきた。
怒らないようにする為には「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の三猿が無難と決めて、できるだけ見ないようにしてきた。


月2回の通院の今日の結果、担当医にこんな話をしたそうである。
「・・・朝、男の人が来て、選挙でお世話になった御礼だと言って、100万円の札束を置いていった。でも、手に持って受けた札束が無くなってしまった。どこを探しても見つからない・・・」
担当医はニコニコしながら、長い説明を聞いてくれたそうだ。
そして付き添ってくれた家内に、「レビー小体型認知症ですね!猛烈な幻覚ですが、本人はそれが現実にしか感じていません。手も強張ってきていており、パーキンソン病の症状も現われてきています。」との事。
その報告を聞き、「やはり、そうだったのか」という落胆と同時に、仕事でパーキンソン病で苦しむ方を多く見てきているだけに、それらの症状が認知症の症状に加えて身体的な苦痛として加わっていくだろう母の今後が見えてきて、泣きそうになってしまった。
そして、これからは絶対に「怒らない息子」になろうと思った。
そんな母を、毎日の食事や洗濯、身の回りの世話、投薬管理を献身的にやってくれている家内に感謝した。
家内の実家の両親も介護が必要な状態になっているのだから、なんとかしなければならない。

エンドレスな介護の悩みが続く・・・
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テーマ : 認知症を介護する家族の悩み
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聞こえないイライラは家族も同じ

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50代から掻けている補聴器。今まで何回も買いなおしをしていたが、3年前にも耳の穴にスッポリ入ってしまう高価な(約30万)補聴器を購入。
最近、いじってばかりいて、小さなボタン電池を毎日交換していた。
聴こえないからなのだ。
説明書も文字が小さくて読みにくくて、更にわかりにくい。
でも、ボリューム調整や音質プログラムのボタンを押しても、説明書の通りには動作しない。
どうやら、壊れたようだ…
高価な割には寿命が短かったと思う。

本人が聴こえないと、コミュニケーションがとれない。認知症なので、さらに理解できているか否かの確認もするのだから、イライラは爆発寸前。

さて補聴器を買わかければならないが、どうしたか良いか?
小指の先ほどの大きさなのに、どう考えても30万円って高すぎるだろう。
今までは、メーカーがあって、販売店があって、代理店があって、そこから係員が訪問してくるパターンだった。
セールスマンは「個人個人の聴こえない音域があるので、音量の大小ではないのです」と言っていたが、ネットで、いろいろ調べてみると、最近の機種はデジタル式が主流で、それらの調整は機器にプログラム化されているので、ボタンで選択するだけのようだ。
あとは、音域(500HZと1600HZの表示しかないので中間が個人差の違いがあれば不明だが)の利得確認だけで素人でも商品選択が可能だと思った。
そこで、選んだものがリオネットのポケット型デジタル補聴器「HD-32」
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楽天で検索すると64,000円。
価格的には従来の補聴器が5ケ買えてしまう。
弱点は首からぶら下げてイヤホーンがワイヤーで接続されているので、じゃまくさいだろうが、スイッチは大きくて見やすいし電池も単41本。
誤操作しにくいメリットの方が、今の母にはマッチしていると期待したい。

ヤレヤレ・・・

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認知症が進んでゆく

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「見ざる、聞かざる、言わざる」の教え

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「スミマセン・・・スミマセン・・・」  絶句!

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寝たきりの原因は大量の投薬ではないのか?

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介護オンパレード

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介護ベッドのリモコン改造 リュウマチ対策

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呼び出しワイヤレスチャイム 安く入手できた

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母が急な階段を登ることも大変になったので、1階にある母の寝室から2階にいる私達にボタン一つで呼び出しが出来るようにワイヤレスチャイムを置いた。
専門の介護用品カタログでは2万円前後してしまう商品なので、まだ大丈夫だろうと関心も持たなかったが、ある方から相談を受けて、ネットで見つけた商品だった。
ボタン(送信機)以外にも人感センサーの増設などもできる。
価格は、送信機と受信機とのセットで、1,386円。
これはありがたい。
ボタン(送信機)は簡易防水にもなっているので、屋外にも設置可能。
気になる電波の届く範囲は屋外で100m、屋内では50mとの事。
畑仕事でも対応できそうだ。(笑)

テーマ : 介護用品
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プロフィール

ドットドット

Author:ドットドット
原発事故まではハーブや自家製野菜・果物作りの生活を満喫していましたが、放射能汚染されてしまい、もう無理。
今は仲間と大好きな山登りをして写真を撮り歩きして楽しんでいます。
原発事故後の風土と日常をとりあげてをいこうと思います。

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