先輩Zさんが逝ってしまった

大学を4年間で予定通り卒業し22才で10人目の所員として建築設計事務所に就職。38年も前の事。
いつも苦虫をかみつぶしたようなド近眼鏡をかけたAB型の先輩が、ビンボ揺すりしながらドラフターに向かって図面を書いていた。
とっつきにくい方。神経質そうで、分からなくて聞いても、ツッケンドンの返事。
自分のドラフターは新人だったのが幸いに、ビンボ揺すりの先輩から一番遠い場所だった。
隣は日大卒のAB型の先輩。さらに隣には若くハンサムな電気設備設計のAB型の先輩。やらたとAB型の先輩が多い一級建築士事務所って、こういう雰囲気なのかと、先々に不安を感じた。
大学を出て、建築博士の学位はあっても、先輩達にはまったく通じない。
博士号なんて無価値というものだった。
先ずは何をやったら良いのか.・・・
トンボのエンピツを削る。当時はまだCADがない手書きの時代だった。
設計図面はA2版のトレーシングペーパーに鉛筆で書く。
筆圧が弱い自分はは青焼き(コピー)しても鮮明に線が写らない。そうなると「ヘタクソ」と言われるだけであった。
「博士なんだろ?」っても言われ、凹んでしまった。そんな事、大学では教わることもなかったからだ。
そんな落ち込みを救ってくれたのが週末のデートだけ(笑)
今の細君だった。
予想外に設計事務所の空気は陰気で、未来空間を創造するデザイナーの空気など全く感じる職場ではなかった。
エンピツは10本以上削って仕事を待っていたが、そのエンピツを使う事はなく、毎日毎日青焼きが続く。
1ケ月も続くと、バカでも人生を計算し始める。そんな時に、やっと声がかかった。
「・・・サイトウ君、これ、書いてくれる?」やっと仕事がきた。
何でもよい。書きたかった。
指示をうけたものは「建具表」だった。
平面図の略図の建具に番号を付し、その建具ひとつひとつの詳細図を描き、縦横のサイズと仕様を明記してゆく図面だった。
それが2年間続く・・・
もう25才近くなって、建具表だけ。その間に2級建築士の試験も合格していたけど、木造建物の設計は一切なく、鉄骨造や鉄筋コンクリート造や鉄骨鉄筋コンクリート造の建物ばかり。
先輩の基本設計を捕捉する1/20スケールの部分詳細設計を書く程度で1級建築士の受験を迎えた。
1級さえ合格できれば!という思いで、デートも我慢して受験。1発で合格でき25歳で結婚した。
結婚式では、所長が祝辞で私をベタ誉めるしてくれた。
誉めてくれなくてもいいよ!基本設計やらせてくださいよ!新郎の席で、そう願っていた。

設計事務所の方々は、皆が自分の作品を夢見ていた。皆が競争だった。
新人がくるたびに、新人=敵のような空気感が漂っていて、排他的だった。
所長は、私の結婚後、お祝いだったのだろうか。幼稚園の設計を担当として初めて任せてくれた。
隣のドラフターにいた先輩はやきもちをやいていたのを覚えている。
鉄骨造平屋建ての規模で、思う存分絵をかかせてもらう。
町の教育委員会発注の建物だったが、教育長が私のイメージを尊重してくれて、ほぼイメージ通りに完成できた。
当時としては斬新なグリーンの特殊コーティングしたアルミサッシを使った幼稚園が完成し、竣工検査に所長を現場に案内。

絶対に所長が絶賛するだろうと自信満々だったのだが、「・・・サイトウ君!なんだね!この色は!」と大激怒!

あれから35年経過していたが、その時の所長の顔が忘れられない。
・・・「サイトウくん!グリーンほど貧しい色っては無いのだ!」と怒られた。
でも、隣にいて、同じ建物を鑑賞している教育長は、初めて見るグリーンのアルミサッシの色に感動し絶賛!
なんだ?この違いは・・・

そんな怒られたり褒められたりする一日が過ぎ、自分自身がフラフラしてしまった時に、ビンボ揺すりの先輩が一言「サイトウ君!所長が一番嫌いな色がグリーンなんだよ」と教えてくれた。

そんな事、誰も教えてくれなかった。  何故???

人間不信になると思うのだが、実はビンボ揺すりの先輩も同じ失敗をやっていたことを教えてくれたのだった。
そのグリーン事件から、その先輩との距離感がなくなり、一番親しい関係となっていった。
それはお互いの感性に気が付いたときだったのだろうと今は理解できる。

その幼稚園はすでに30年以上経過し、町の給食センターの建て替えの為、解体されて無くなってしまったが、28歳までの設計事務所勤めだったが、諸先輩を退けて、所長は私にたくさんの設計担当を任せてくれて、大いに私のわがままをエンジョイさせてくださった。
その陰には、ビンボ揺すりの先輩が私を指名してくださっていたことを後に知った。

ビンボ揺すりの先輩は生涯2級建築士で終わってしまったが、実務は特急建築士であり、ドラフト力とクライアントとの調整力と妥協しない卓越した現場監理力に尊敬していた。
その点、当時の自分には青臭いパワーだけしかなかったけど、その先輩はそれを認めてくれていた。

その設計事務所は突然不渡りを出して倒産。自分が担当していた工事中の監理物件を矢も植えずフリーでこなして無事に竣工。
設計事務所勤務が終わった。

その後もビンボ揺すりの先輩との交流は続いた。先輩は独立し、その後、豊富な人脈と腕で目が不自由になった70才まで建築築設計を続け、家族が気がついた時は、布団の中で亡くなっていた二日後だったという。

遺影は髪が薄くなっていたけど、あの時の笑顔の先輩だった。奥様が「こんな顔は家では見たことがなかったです」という。
自分にとっては遺影のお顔しか残っていなかった。

先輩の遺影の遺影の表情は、とても子供っぽく微笑んでいて、設計というクライアントの希望の中に相乗りして自分の夢の世界を描くイタズラ悪ガキのような印象が伝わってきて、「ヤッタネ!先輩!お疲れさまでした」とお別れを告げることができました。

とっても、とっても書ききれない、自分の生涯の中でも大きい存在だった先輩が逝ってしまいました。
同じ猿歳でしたね。Zさん (合掌)
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11.22 福島県沖M7.4発生 続く余震

前日から長男家族がやってきて、翌日にせまったマイホーム購入の最終取引の準備確認をして楽しく会食し早めに就寝。
福島第1原発から直線65kmも離れた福島市内でも高濃度の放射性物質が飛散し、特に小さな子供を持つ方が多く県外に去っていかれた。
当時、初孫の出産準備でお嫁さんは実家の相馬に帰省する予定だったが、3.11はその直前に発生した。
2ケ月後に家族が避難した郡山市の病院で無事に誕生。
その郡山市も汚染されてしまっていたので、特に赤ちゃんの健康被害を心配して1ケ月もたたない時期だったけど、孫たちは東京に戻り棟をなでおろした。
でも、5月末に父が亡くなり再び家族や親族が集まったが、都内に住んでいた父の兄弟である親族は放射能被ばくを恐れて来なかった。当時は放射能汚染による健康不安を払拭できる十分な情報は少なく、線量計を見つめ、出来るだけ室内に留まる生活を強いられていた。葬儀の時の室内線量は毎時0.4~0.5μsvをさしていた。
葬儀が終ると、子供たちや孫はその日のうちに帰したが、地元のそして大人たちは、放射能によるガンで苦しむ前に寿命が尽きるなどとお道化ていたことを覚えている。

あの過酷事故から5年半。孫も4人に増えた。原発事故以前の福島を知らない世代である。

子供たちの家族も孫の成長に合わせ借家生活からマイホームを探し始める歳になってきた。
この夏に子供たちが中古物件を見つけ相談を受けた。原発事故後県外に自主避難された若いご夫婦が住んでおられたもので、避難後は空き家状態で、多額の住宅ローンを返済し続けていた。敷地内に埋めた一時保管した除染廃棄物がまだ残った状態だったが、立地が良く、屋外の空間線量も毎時0.1μsv以下となり、また建物も高気密高断熱新耐震基準の物件だったので購入に賛成した。
廃炉作業がどうなって行くのか不安はあったが、3.11のような大きな地震はしばらくは発生しないだろうし、福島の原発は再稼働は出来ないだろうと願っていた。
11.22には残金取引を行い、登記移転して念願のマイホームに初宿泊する予定で、車内には寝具を積み込んできていた。
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6時前、ガタガタガタガタと揺れが始めどんどん強くなりとび起きて1階に駆け下りた。
(3.11の時は余震でも揺れを追いかけるように山がうなる音も聞こえていたことを思い出す)
既に長男が起きていてTVを見つめていた。
小さな孫を抱いてお嫁さんも起き出して、「どうしてこの日なの!」とやりきれない表情。みんなでTVを見入った。
3.11の時には停電してしまい、TV中継所のアンテナも停止して、一切の情報が途絶えていたことを思い出した。
あの時の津波では親族を2人亡くしていたので、浜の方には自己判断せず避難してほしいと願った。
長男は朝食もとらずに、職場に単身戻っていった。そうするしかない立場だった。
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飛散物質を覆っていたシャルターが撤去され、むき出し1号炉。建っていた!
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ここは内陸なので津波被害はないが、原発から直線で40kmの位置にある。
インターネット回線も支障なく、ライブカメラで原発の状況を知り一安心。でも1~3号炉の使用済核燃料はがれきの中にそのままm残った状態で冷却し続けていないと過酷事故になる。
我が家の地震による被害は幸いになかったが、職場に向かう途中、浜方向に向かう県警の数台の特殊車両とスライドした。
職場は、2階の会議室の天井が一分落下していた程度で済んだが、3.11の時はガラスも割れ、壁もヒビだらけ。
表面を補修しただけで現在も使用中。危険度判定を希望しても無関心の本部・・・
余震は今でも続いている。幸いに停電は避けられたので、大きな混乱はなく通常勤務ができた。
お昼過ぎに、息子家族から無事に取引完了できた連絡も届き一安心。
11.22(夫婦の日)と言うのだそうだが、「フゥーフゥー」の日となった。


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ニンニクの発芽と柿収穫

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一気に寒くなり、柿の葉がゴソッと全て落ちた。
オレンジのまん丸の柿は野鳥に狙われて何個か食べられていたけど、まだ渋いとみえて、約30個程度無傷で収穫できた。
今年は昨年の半分位の数しかならなかった。柿って、そういうものなのだろうか?
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渋柿なので、焼酎で渋抜き。実を綺麗に洗った後に、ヘタの部分に焼酎を垂らす程度付けてビニル袋の中に重ねて密閉。
約2週間程度で渋が抜けるそうだ。
手際よく作業する細君に「こんなテクニック、なんで知ったの?」と聞くと、現在入所中の母に教えてもらっていたそうだ。
「へェ~」
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11月6日に植え付けした約500個のニンニクが発芽していた。ちょうど2週間。
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中には元気良すぎるのか?球根ごと地表に飛び出したものもある。
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掘ってみると、白い根が何本も垂直に地中に5cm位伸びていた。土が柔らか過ぎていた為か、それとも、浅植えだったのが原因か?
このままだと寒さで凍ってしまうので、深く掘って埋めてあげた。
今年はマルチを張らなかったので、寒さ対策をしっかりやらないとならないかも?
稲わらで覆うと良いのか?でも、稲わらは無いし、もらってくることもできるが、風が強い畑なので風で吹き飛ばされそう。稲わらが散らかるのも困る。雑草で覆われてしまえば断熱効果もあるかな?

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78歳の飯野ダム未だに現役 堰堤公園 紅葉が綺麗です

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菊の里:ときわ 園主、渡辺さんのざる菊を見てきました

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アルミ缶の風車

以前、仕事先のご主人が手作りされていたアルミ缶の風車を道の駅でも見かけた。
自作してみたくなり、1ケ譲っていただけないかと願っても断られてしまった。

店内に入ってみると、1ケ300円で販売されていたので、1ケ購入。
早速、作り方の観察を開始。
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同じ「のどごし生」です。シルバーとゴールドのツートンの方がスーパードライよりも回り出すと綺麗に感じます。
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針金を輪っかに曲げた内側に羽根状にスリット加工した空き缶宙吊り状態にセットするのだが、蓋の中心に心棒となる真っすぐな針金を通しています。
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スリットの間から、その蓋の裏側が見えます。蓋から長さ5cm位に突き刺したままの状態です。
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底の部分に注目!
輪っかの底の中央が山型に折られていて空き缶の縁に内側からはみ出ないようになっているではないですか(驚)
また雨水が溜まって重たくならないように水抜きの小さな小穴が2つ開いています。
この輪っかの中央の山型で缶を宙に浮かして、上部は真っすぐな心棒で吹き跳ばないようしっかり止めているのですね!

羽根状に加工されたスリットの形状についてはしっかり研究しないとなりません。






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奥秩父の秋①金峰山 奥秩父の秋②瑞牆山 + 蓼科山 デジブック公開しました

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玉ねぎとニンニクの植え付け

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1週間前に玉ねぎ(約400本)とニンニクの種(ニンニク片約500個)を植え付けした。でも、7畝作ったうち、2.5畝も余ってしまった。
たっぷり堆肥と専用肥料を混ぜ込んだ畝を何も作らずに放置するのももったいない。
そこで、玉ねぎをもっと植えることに決定。でも、今年のこの時期になると、その苗が見つからない。
コメリに行って聞くと、今年は気温が高くて良い苗が育たないらしく、昨日入荷した40束は即日完売してしまい、いつ入荷するかわからない状況だという。+「他の店でも見つけたら、すぐに買った方が良いですよ」とアドバイスをいただいた。
そこで、前回購入できた店二本松市にある「グラントマト」に約40KM移動。
あった!あった!ポット植えの物だったが、買い物トレイに入れ始めたら、店員が来て「もっと良い苗を店内で販売しています」という。
50本で378円だったけど、良い苗だった。300本分購入でき、ルンルン気分で帰宅。直ぐに畑に行って植え方完了。
苗が6本余ってしまったけど、全ての畝の作付けが完了!
合わせて700個の玉ねぎの収穫見込みではあるけれど、毎日2個食べたとしても約1年分。
余るに決まっている。(笑) 子供たちや友人にたっぷりお裾分けするしかないな・・・

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安達太良 湯川渓谷の紅葉

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今年5月22日に安達太良ピークハントをしました。下山ルートはくろがね小屋から塩沢温泉に続くルート。
別名:湯川渓谷と言われ、紅葉が綺麗だと聞いていたので、秋に再訪したいと思って、細君と二人で出向きました。
風も無く、だんだんお天気も良くなりましたが、くろがね小屋周辺は防寒着が必要な寒さ。カップ麺で空腹と寒さをしのぎ下山。
良い所いっぱいいっぱいあって、毎年登っていても新鮮な山:安達太良です。


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ドットドット

Author:ドットドット
原発事故まではハーブや自家製野菜・果物作りの生活を満喫していましたが、放射能汚染されてしまい、もう無理。
今は仲間と大好きな山登りをして写真を撮り歩きして楽しんでいます。
原発事故後の風土と日常をとりあげてをいこうと思います。

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