一枚の写真

DSCF6754.jpg
アルバムから見つけた1枚の写真。

たぶん・・・50年以上は経っている写真だと思う。
どこかの旅館なのだろうか?まだ外は明るい様子だ。
浴衣に着替えて宴会までは2時間程度間があったのだろう・・・。
でも浴衣の柄がヨコシマやタテシマ・チェックとばらばら。
イーチャン目のゲームなのかなぁ~
表情が期待で輝いて見える。(笑)

この時代の娯楽の主流はマージャンだったのだろう。
点いくらでやってたのかなぁ?(時効)

「貸しがある」とか「借りがある」とか言っていたのを思い出す。
それはきっと、マージャンのことだったのだろう。

自宅でもよくマージャンをやっていた。
まだ学校にも行かない小さな自分は、胡坐をした父の上にダッコされて、ハイをいっしょにながめていた。
漢字のハイは面白くなくて、イーソーはニワトリのように見えて楽しくて「鳥・鳥」と言ったことを思い出す。
父は短気な性格だったから「ポン」や「チー」が多かったように思う。
チートイツ
七対子(チートイツー)も多かったようだ。だから、あがってもあんまり高点数にはならなかっただろう。
間違っても、大三元や国士無双などはなかったにちがいない。

今、思うと、マージャンって人柄がでるゲームだ。
父にとっては楽しい時代だったのだろうなぁ・・・

その後、会計の係りになってから、賭け事はやめてしまった。偉い!

膝の上で父のマージャン妨害をやっていた自分は、55歳の誕生日を迎えた。
父に似ず、毎晩酒を飲んでいる一人息子・・・



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テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
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ドットドット

Author:ドットドット
原発事故まではハーブや自家製野菜・果物作りの生活を満喫していましたが、放射能汚染されてしまい、もう無理。
今は仲間と大好きな山登りをして写真を撮り歩きして楽しんでいます。
原発事故後の風土と日常をとりあげてをいこうと思います。

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