情報を失った三日間

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[高画質で再生]

原発水素爆発 私たちはどう伝えたのか [アクセスカウンター]
この報道をどうとらえればよいのだろうか?
それ以前に、あの時から13日の夕方までの停電で盲目の日が続いていた。
携帯のワンセグも中継基地の電源が停止し見ることができなかった。
そして得られた情報はラジオからのみであった。
この時のJNNの報道を見ていたら、とるべき行動は違っていた。


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12日、1号機が爆発した。
その時、自分と細君は津波被害にあった南相馬を歩いていた。
夕方、鹿島支所を訪ね、ロビーのTV報道で爆発を知る。
第2原発でもトラブルが発生している報道もなされていた。
でも、支所職員からは何も指示がなく、妙に静かなだけだった。
勿論、自分達にも原発の爆発がどれだけの被害を出すのかさえ想像もできなく、「なんとなく不安」という認識だった。全く無知で、帰る途中、車内のTVで避難勧告されてから慌て始めたのだった。
後で計算すると、その時の南相馬滞在中130μsvの被曝を受けていた。

その夜から、放射線を避ける川俣町内には浪江町等から1000人を越える方が数箇所の施設に避難されてきた。その後、町はごったがえしの状況が続き、コンビニエンスやスーパーから商品はたちまち消えていった。
その中、3月14日(月)、3号機が爆発した。

その時も、放射能飛散予測の報道はなく、連日「直ちに・・・」「直ちに・・・」が報じられていた。

職場では、午後7時から緊急会議が徴集され、ガソリン入手困難を理由に、当面の間、業務縮小する方針が伝えられたが、独居や生死にかかわる恐れがある顧客だけをリストアップしてサービス継続を決めた。その中には、今は無人化した山木屋地区の顧客も入っていたが、3号機の爆発の正確な情報が得られていれば、、、、

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職場はガソリン不足を理由に、できるだけ事業所内に留まった。
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外出する時はマスク・防止・ツルツルのジャンバーを着用するようにとの指示があり、目張りした建物の中での仕事が続いた。
・・・続 く・・・



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Author:ドットドット
原発事故まではハーブや自家製野菜・果物作りの生活を満喫していましたが、放射能汚染されてしまい、もう無理。
今は仲間と大好きな山登りをして写真を撮り歩きして楽しんでいます。
原発事故後の風土と日常をとりあげてをいこうと思います。

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